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カリスマ転職と呼ばれて(7社目)

働いていた会社が倒産した私は再び派遣会社に登録、近くのクレーン会社に行くことになりました。当時国内シェア80%を誇る大手でした。広大な敷地に工場が何棟もたっていて、自分の持ち場まで駐車場から歩いて10分近くかかるようなところです。


仕事内容

私が配属された部署は、天井クレーンの組立、ボンデ処理、塗装をするところで、最初に覚えたのはボンデ処理でした。

ボンデ処理というのは、プレス加工前に材料にリン酸塩皮膜処理を行い、材料の表面に潤滑皮膜を生成させる処理です。

潤滑被膜には、プレス成型時に材料と成型金型との間に生じる摩擦を軽減し、相互の焼き付きを防ぐ働きがあります。その働きによりプレス加工を容易にし、金型の寿命を長くします。また潤滑皮膜は材料の錆防止の効果もあります。

この作業は1人で行うので気楽でした。処理自体は機械が行うので、私は材料の補充と処理が終わった材料の抜き取り。ボンデ装置の運転だけです。

次に覚えたのは塗装です。塗装と言っても我々人間のやることは簡単で、塗装場をグルグル回っているハンガーに材料を掛けていき、塗装し終わって出てきた材料を外してパレットやカゴに入れるだけです。

最後に覚えたのは天井クレーンの組立。この作業は二人一組で行い、順番に部品を付けていくだけなのですが、二人の息が合わないとスムーズにいきません。ボルトの閉め忘れなども許されないので、二人でお互いの作業をチェックしつつ進めていきます。

なかなか神経を削られる作業でした。


おじさま方は派遣が嫌い?

当時その会社は派遣社員を入れて間もないらしく、特に年配の社員の方たちは面白く思ってなかったようです。そのためおじさま方による派遣社員いじめが横行し、心を病んで来なくなってしまった同僚がいっぱいいました。

当然私もその洗礼を浴び眠れなくなってしまいました。不眠症というのは不思議なもので、一晩中眠れないで苦しむのに、朝会社に行くころになると眠くなるんです。会社に行ったら行ったでずっと頭が働かずボーっとしてしまい本当にきつかった。

しかし生活するためには働くしかなく、まして地元の人間でもない私には頼れる人もいませんでした。だから必死で毎日会社に行きました。通勤してても会社が近づくにつれ気分が落ち込み動機も激しくなり本当に逃げ出したかった。

もし今、当時の私と同じような症状が出ている方がいたら病院に行ったほうがいいですよ。そしてできるならしばらく休んだほうがいいです。確実に心が悲鳴を上げています。

私は手遅れでした。仕事中に意識が飛ぶようになり(眠くて飛ぶのか気絶してるのか今だににわからない)もう限界だと思い、派遣会社の担当者に事情を話して現場を変えてもらいました。

今でも時々思います。なぜおじさま方は派遣社員を目の敵にしていたのかと。年代的に終身雇用が当たり前の世代。派遣社員という”自分達には理解できないもの”を恐れていたんだろうか。自分たちの仕事を奪われるとでも思っていたんだろうか…

あまりにも派遣社員が辞めていくため、その会社では外部のコンサルタントを雇い、まだ理解のない社員に講習会を開いたり、現場を回って班ごとに講習したりと色々やってました。

内容は、派遣社員も同じ人間なんですよ。正社員も派遣社員もやってることは同じなんですよ。正社員より仕事を理解している派遣社員もいるんですよ。

こんなレベルの当たり前の話をしてたんですから当時の状況がどんなものだったのか想像に難くないですよね^^;

ちなみにこの会社では3年半働きました。もちろん良くしてくれた社員さんもいるのでその方たちには感謝しています。


人が怖くなり運送業へ

限界を感じ現場を変えてもらったのはいいものの、自分が思ってる以上に対人関係が怖くなっていて、人とうまく接することができません。それでもだましだまし働いていましたがやっぱりうまくいかず、派遣会社を辞めました。

今思えば一度病院に行って診てもらうべきでした。

このころ私は結婚します。クレーン会社で働いているときに出会った女性です。正直好きなわけではなかったけど、寂しかったんです。私には支えが必要でした。(この考えの甘さが後に大変なことになるのですが)

次に選んだ仕事は、人となるべくかかわらずに済むトラックの運転手です。

続きは次回。


 

 

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