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【実話】早朝の配達

これは私が取引先の運転手から聞いた話。

2011年3月11日、東北を大地震が襲った。この地震によって引き起こされた津波は、場所によっては波高10メートル以上、最大遡上高40.1メートルにも上る巨大なもので、東北地方に壊滅的な被害をもたらした。

2020年12月10日時点で、死者、行方不明者は1万8425人、建築物の全壊、流失、半壊は合わせて40万4893戸が公式に確認されている。犠牲者の死因のほとんどが津波に飲み込まれたことによる水死だったらしい。

私は福島県の内陸に住んでいるので津波の被害は受けなかったが、ものすごい揺れだった、そして長かった。地面は割れ、液状化現象も起こり、ありとあらゆるものが崩れ落ちた。そしてその光景はスローモーションに見えた。

その時の私の気持ちは「まさか自分たちが…」、ただそれだけだった。

電気もガスも水道も止まり、会社の防寒服を着たまま一ヶ月近く過ごした。もちろん風呂なんて入れない。会社には毎日行って片づけをする。来ない人間もいたがそれが普通だと思った。あんなことがあったのに毎日会社に来てるやつらのほうが異常だよ。

幸いカップラーメンを作っている会社だったので食料には困らなかった。ガソリンはたまたま震災の前の日に満タンにしていたので何とかなった。ガソリンが無くなった人は自転車できていたが、2,30キロ離れているところから来てる人もいて驚いた。

そんなにしてまでくる必要あるのかと聞いてみたら、「来ないと上司に怒られるから…」と言っていた。ホント日本人らしいなと思ったのを覚えている。

ある日、会社に一台のトラックが入ってきた。見覚えのある運転手だ。確か震災の日にうちで積み込みをしていた人だ。その人は宮城県の方で、津波で家を流され家族も行方不明、トラックの中で生活していたらしい。いよいよ食べ物もなくなって困った末、カップラーメンを頂けないかとうちの会社に来たらしい。

しかし、会社の上司はそれを拒否した。私は上司に激昂した。つまりキレた。家を流され家族の安否もわからなくて、助けを求めてきた人を拒絶するなんてもはや人じゃない。クビになろうと関係ない。「アンタは間違ってる!」と抗議した。

すると上司は、渋々カップラーメンを一箱運転手に手渡した。心の中では「10箱ぐらいやれよ」と思っていたが、これ以上騒ぐとややこしいことになるのでぐっと我慢した。

あ~思い出したらまた腹立ってきた(笑)

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震災から数か月がたち、会社の業務も少しづつ元に戻りだしてきたころ、宮城県から来ていた運送会社のドライバーに不思議な話を聞いた。便宜上そのドライバーをYさんと呼びます。

Yさんは震災後しばらく冷蔵車に乗って早朝荷物を運ぶ仕事をしていたらしい。ルートは決まっていて毎日同じ道路を通る。

ある時から、いつも通っている道路に小さい子供を連れた女性が散歩していることに気が付いた。まだ朝4時半ぐらい。「こんな早朝に散歩なんて珍しいな」と思ったそうだ。季節は夏だが、まだ薄暗い時間だ。大人だけならまだしも小学生低学年ぐらいの女の子を連れていたらしいので不思議に思うのも当然だろう。

次の日もまた次の日も、とにかく毎日同じ時間にその道路を歩いていたそうだ。そしてYさんに向かってお辞儀をするらしい。Yさんは知り合いなのかなと思い良く見たが知らない人だった。

単純に「朝早くからご苦労様です」という意味のお辞儀だと思うことにして気にしないようにしたそうだ。そして毎日その親子を見てるうちにYさんは思い出した。

その親子は震災当時Yさんがトラックで運んだご遺体だったそうだ。

あの震災でものすごい数の人間が死んだ。そのご遺体は町の体育館や学校の体育館に安置されていたが、3月も終わりに近づき気温が上がってくると、遺体の腐敗が始まってしまう。それを防ぐために、冷蔵車を使ってご遺体を運んだらしい。

Yさんもたくさんのご遺体を運んだそうだが、その中に子供とお母さんのご遺体があったそうだ。それを強烈に覚えていたらしい。

きっとその親子は、自分たちを運んでくれたYさんにお礼を言っていたんですね。

 

この話を聞いた時、怖いという感情は湧きませんでした。むしろ心が温まるような感覚をおぼえました。

Yさんはというと流石に気味が悪いのでしばらくしてその会社を辞めたそうです(笑)そりゃ当事者にしてみれば怖いですよね(>_<)

怖い話とか興味深い話はまだ何個か持ってるので時間があったらまた書きます。全てノンフィクションですのでお楽しみに!