世界が直面している食料問題は、もはや発展途上国だけの課題ではありません。気候変動による農業生産の不安定化、人口増加、国際情勢の不安定さ――これらが複雑に絡み合い、先進国を含めたグローバルな食糧危機のリスクが高まっています。
特に日本は、カロリーベースでの食料自給率が約38%(2023年時点)と非常に低く、その多くを海外からの輸入に依存しています。災害や国際紛争、経済ショックが起きれば、輸入の途絶は容易に起こり得るのです。
こうした背景から、都市部でも「食の安全保障」に対する意識が高まりつつあります。私たちが住む街で、少しでも食料を生み出せる仕組みが必要とされているのです。その答えの一つが、「都市型農業」です。
都市型農業とは何か?
都市型農業(Urban Agriculture)とは、都市の限られたスペースを活用して行われる農業のことを指します。従来の広大な耕地を必要とする農業とは異なり、ビルの屋上、ベランダ、地下空間、さらには建物の中での垂直農法や水耕栽培など、都市特有の空間を活かして食料を生産します。
その形態は多岐にわたり、以下のようなものがあります。
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屋上農園:商業施設や学校の屋上を活用し、野菜を栽培する取り組み。
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垂直農法(Vertical Farming):建物の内部に多層の棚を設置し、LED照明と水耕・気耕栽培を行う高度集約型農法。
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地下農業:使用されなくなった地下鉄の空間や地下室を活用して野菜を育てる新しい試み。
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コンテナ農場:輸送用コンテナを温室化し、移動可能な農場として活用。
これらには、AIやIoT(モノのインターネット)を活用した「スマート農業」技術が組み合わされることも多く、効率的かつ環境に優しい生産が可能です。
都市型農業の利点
都市型農業には、単なる「野菜を作る場所」という以上の意義があります。
食料供給の安定化
- 都市で生産された食料は、災害時や供給網が断たれた緊急時の「最後の砦」となり得ます。特に災害の多い日本では、都市の備蓄だけでなく、日常的に新鮮な作物が得られる都市農業の価値は高いものです。
環境負荷の軽減
- 遠方の農場から都市へと運ばれる食料には、輸送によるCO₂排出が伴います。都市内で生産・消費が完結すれば、いわゆる「フードマイレージ(食料の移動距離)」が短くなり、温室効果ガスの削減にもつながります。
地域コミュニティの再生
- 都市型農業は、子どもたちの食育、シニア世代の社会参加、外国人との交流の場としても機能します。マンションの共有スペースを使った市民農園などでは、住民同士の交流が活発になる事例も増えています。
フードロスの削減と資源循環
- 家庭や飲食店から出る生ゴミを堆肥化し、都市農園で再利用するサイクルも注目されています。食品廃棄物がゴミではなく「資源」となる仕組みです。
実際の取り組み事例
都市型農業はすでに多くの都市で導入されています。以下に、国内外の注目すべき事例を紹介します。
日本:東京・大阪の屋上農園
東京都港区では、オフィスビルの屋上に菜園を設置し、社員が昼休みに野菜を育てる取り組みが行われています。単なる福利厚生にとどまらず、収穫した野菜は社員食堂で提供され、職場の食の循環が実現されています。
大阪市では、商業施設の屋上に設けられた水耕栽培施設が話題となり、買い物客が野菜の収穫体験を通じて都市農業を学べるようになっています。
出典:マイナビ農業・都会の真ん中で畑作り!東京・大阪「都市部の貸し農園」5選
海外:ニューヨークの垂直農場
ニューヨークに拠点を置く「AeroFarms」は、倉庫内での完全閉鎖型の垂直農法を実践しており、農薬を使わず、従来の農業と比べて最大95%の水を削減。年中無休で安定した生産を実現しています。
出典:AFP BBNEWS:グーグルやアマゾンのベゾス氏も…IT業界が支える「都市農業」
シンガポール:国家戦略としての都市農業
国土が狭く、輸入に大きく依存してきたシンガポールでは、国家戦略として都市農業に注力。「30 by 30(2030年までに国内食料自給率30%)」を目標に掲げ、都市農業スタートアップに対する支援も拡充しています。
出典:NNA:【アジア取材ノート】勃興する植物工場産業シンガポール、2年で3倍増
課題と限界
経済性と初期コスト
- 高度な設備やICT技術が必要な場合、初期投資が高額になりがちです。また、都市部の高い地価も採算性の障害となります。採算ラインに乗せるには、技術革新とともに、地域の支援・補助が不可欠です。
法制度と規制
- 都市農業のための土地利用や建築基準、衛生管理など、現行法の想定外のケースも多く、柔軟な法整備が求められます。
規模の制限と自給率
- 都市型農業だけで都市全体の食料をまかなうのは困難です。したがって、「補完的な役割」としてどう位置づけるかが重要です。
都市型農業の未来と私たちにできること
今後、都市型農業はスマートシティや脱炭素社会の構想と結びつき、より複合的な社会インフラとして発展していくと考えられます。
例えば、再生可能エネルギーで運営される都市農場、AIによる収穫最適化、廃熱や雨水の再利用など、サステナブルな要素が強化されていくでしょう。
市民レベルでは、以下のような取り組みが可能です。
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ベランダでのミニ農園や家庭菜園の導入
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コミュニティガーデンへの参加
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食育活動や地域イベントへの協力
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地元産の農産物を積極的に購入・支援
都市に住む私たち一人ひとりが、食と環境に意識を向けることで、都市型農業は単なる一時的なブームではなく、持続可能なライフスタイルとして根付いていく可能性があります。
結論:都市の中に「畑」を取り戻すという選択
食糧難という世界的な課題に直面する今、都市型農業は私たちにとって「選択肢」ではなく、「備え」として現実的な手段になりつつあります。テクノロジーと地域社会を融合させたこの新しい農業の形は、未来の都市における食料と環境の安全保障を担う柱となるでしょう。
都市に「畑」を取り戻すことで、私たちは自らの食の未来を、自らの手で耕すことができるのです。