世界中が盛り上がったワールドカップ。そこで日本人サポーターのある行いが話題になったのを覚えているだろうか。
試合が終わってスタジアムを後にするとき、客席のゴミ拾いをしていたのだ。この行為はいつから始まったのかわからないが、日本代表がロッカールームをきれいに掃除して帰るのが話題になってから、サポーターの皆さんが我々も日本代表のサポーターとして恥じないようにと、客席のごみを拾い始めたのではないかとも思っている。
そもそも日本人は小さい頃からゴミは持ち帰るとか、来た時よりも美しくとか教えられているからその辺にごみを捨てる人の方が少数派だろう。いやっ、たぶんそのはず…
そしてこの行為は海外の人たちにはあまり理解されないらしい。彼らの言い分では、ちゃんとそれを仕事にしている人がいるのに、その人たちの仕事を奪っているというのだ。
一理あるなと思う一方で、日本人が掃除しようがしまいがその後業者さんが掃除することに変わりはないんだから仕事を奪っているというのはちょっと違うんじゃないかとも思う。逆にゴミが少なくなって喜んでんじゃないかな。
そして驚くのは、同じ日本人でこの行為を批判している人たちがいることだ。本当に何をやっても批判される世の中なんだなぁ。
何をやっても批判されるというのは大昔から変わらないのだろうが、今はSNSの発達によってその声が拡散されてしまうから質が悪いですよね。でも良いことも拡散されるから結果プラマイゼロという考え方もある。
数年前、トヨタ自動車の社長が会見で語った「ロバと老夫婦」の話がすごく印象に残っている。
老夫婦がロバを引いて歩いていると、それを見ていた村の人たちから、「あいつらはロバの使い方も知らないのか」と批判される。
お婆さんをロバに乗せると「爺さんを歩かせて自分だけロバに乗るなんてけしからん女だ」と批判される。
お爺さんがロバに乗ると「爺さんだけ楽をして婆さんがかわいそうだ」と批判される。
2人でロバに乗ると「2人で乗るなんてロバがかわいそうだ」と批判される。
結局何をやっても批判してくる人がいる。
トヨタ自動車の社長はこの話を例に出してマスコミの傲慢さを批判していた。そしてそれ故に自社で独自のメディアを創ったのかもしれない。『トヨタイムズ』がそれだ。
全ての人を納得させることは不可能なので、ならば自分の好きなようにやろうということですね。
この「老夫婦とロバ」の話には元ネタがあるらしく、イソップ物語の「ロバを売りに行く親子」ではないかと言われています。
ただしこちらの教訓は少し違っていて『人の言うことを何でも信じて聞いてしまうと、結局自分自身を見失い、大切なものも失いかねない』というものらしい。こちらの教訓も本当にその通りだなと納得できますね。
ここまで書いた内容を見ると、日本人の道徳観は素晴らしい!世界に誇れるものだ!と言っているように見えるかもしれないが、私には手放しで「そうだそうだ」と言えない経験がいっぱいある。
私は今まで20回以上海外に行っているが、海外で一番騙されたのは日本人だし、一番ボッタクられたのも日本人だ。特に東南アジアでは日本人が日本人を騙していることが本当に多い。
それが非常に腑に落ちない。自国にいる日本人のほとんどはマナーもよく、道徳心に溢れていると思う。しかし一歩外に出るとそれが失われているように感じる。
昔、海外にいる知人から言われたことがある。
「世界で唯一同胞食いをするのは日本人だ」と。
そしてそれを実際に体験してきたからこそ、手放しで「世界に誇れる日本人」とは言えなくなってしまった。今では海外で日本人を一番疑うようになった。
なんでこんなことになるんだろうと考えたこともあって、日本にいるときは同調圧力とか品行方正を求められることにストレスを感じていて、一歩外に出るとそこから解放されるから反動が大きくなるのかなとも思ったが、考えてもしょうがないということに気づいてやめた。
私たちの社会では「善」はプラス、「悪」はマイナスとされている。だとしたら、善をなすと「道徳の貯金箱が」プラスになるので次は悪行をしても許されると思い、悪をなすと道徳的にマイナスになるので、次は善行で帳尻を合わせようとするのではないか。
「そんなバカな」と思うかもしれませんが、心理学者のブノワ・モニンらがプリンストン大学の学生に行った実験によって、この仮説は確かめられています。実験の詳しい内容はこちらの本を読んでください⇩