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愛は世界を救う?

最近読んだ本に面白いことが書いてあった。

その本の作者は昔からよく中国に旅行に行ったらしいのだが、基本的に個人旅行で、たまに中国人向けの国内旅行に参加した。外国人向けのツアーだとお土産物屋さんをたらいまわしにされるので嫌になったそうだ。

中国人向けのツアーでのこと。ガイドが「このレストランで昼食をとります」と言っただけだと誰も作者のことなど気にもかけず、身振り手振りで悪戦苦闘しながら注文するしかなかった(中国語は喋れない)。

しかし「あなたたちはこのテーブルに座ってください」とグループ分けをした時には、見ず知らずの中国人が一生懸命作者の世話をしてくれたらしい。そしてその関係はツアー中ずっと続き、観光地での作法や集合時間に遅れないように気にかけてくれたり、すごく親切にしてくれたそうだ。

これはその中国人が特別親切だったとかではなく、明らかにグループ分けによる「身内びいき」が行われたのだ。

皆さんにも経験があるでしょう?出身地や出身校が同じ人を優遇したりするあれです。

社会心理学者のヘンリ・タジフェルらが行った実験では、コインの裏表で分けられただけのグループですら「身内びいき」が観察されたそうだ。

つまり私たちはどんな理由であれ、グループ分けされたとたんに「内集団(自分たち)」を作り、そのメンバーに対して「外集団(ほかのやつら)」よりずっと親切に振舞うのだ。

群れで暮らす動物は、ほかの群れと遭遇すると争いが始まる。自然界では当たり前のことで、チンパンジーはほかの群れに遭遇するとオスと乳児を殺してメスを群れに加えるそうだ。

「外集団」との争いに敗れて皆殺しにされないためには「内集団」の結束を固めなくてはならない。仲間との絆は、仲間でないものを排除し、限りある資源を確保するために進化したのかもしれない。

 


人類の歴史の中で「内集団」の規模は拡大し、基本単位は国家になった。しかし「内集団」と「外集団」がある以上、人類が家族になることはあり得ない。

旧ユーゴスラビアでは隣人同士で殺し合い、ルワンダ大虐殺では昨日まで普通に挨拶を交わしていた隣人が突然ナタをもって襲ってきたのだ。

 

オキシトシンという神経伝達物質がある。別名「愛と絆のホルモン」と呼ばれるものだが、女性では子宮頸部への刺激によって分泌され、性交によってオーガズムに至ると相手への愛着が形成される(男性は射精時に分泌される)。

妊娠した女性の脳は高濃度のオキシトシンに晒され、出産時には子宮頸部が強く刺激されることで大量のオキシトシンが放出される。

オキシトシンは授乳によっても分泌され、これによって母と子の愛着が「生理学的に」つくられていく。

このオキシトシンを使ってオランダの心理学者カルステン・ドルーのチームがある実験を行った。

暴走するトロッコの先には5人の作業員がいる。あなたの横には分岐点の切り替えスイッチがあり、それを使って進路を切り替えれば5人は助かる。しかし切り替えた線路にも1人の作業員がいてこちらに気づいていない。あなたは1人を犠牲にして5人を助けるべきか?

この思考実験には多くの哲学者が挑戦して正解は無かった。ドルーらはこれにちょっとした工夫をした。切り替えた先にいる1人の作業員に属性を付けたのだ。オランダ人、ドイツ人、アラブ人の3人としましょう。被験者は全員オランダ人です。

被験者からすればオランダ人が「内集団」でドイツ人とアラブ人が「外集団」ということになる。

切り替えた先にいる人種によってスイッチを押すかどうかの選択が変わるのかを調べるのが目的だ。

実験の結果オランダ人とドイツ人では差はなく、オランダ人とアラブ人でも僅かに「内集団びいき」が見られただけだった。

次は被験者の顔にオキシトシンを噴霧して同じ実験をしてみた。すると今度はドイツ人よりオランダ人を助ける割合が少し高くなった。

そしてアラブ人よりオランダ人を助ける割合はものすごく高くなったのだ。

この実験からわかるのは、オキシトシンが「外集団」に対する敵意を高めたのではなく、自分たちと同じオランダ人に対する愛情が増したことによって結果的に排他的になったのだ。

つまり「愛は世界を救う」のではなく、「愛は世界を分断させる」のではないだろうか。

日本には『村八分』という言葉がある。ルールを破った者、輪を乱すものなどに対してバツを与える。要は仲間はずれにするという意味で使われるが、残りの二分『火事』と『葬式』だけは手伝うということだ。

人付き合いも国同士の付き合いもこの『村八分』の精神で行けば案外うまくいくのかもしれない。