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AIは人類を超越するのか【ChatGPTとBard】

2022年11月、OpenAIによって開発された対話型の人工知能モデル「ChatGPT」が公開され、いま世界的なブームになっているようです。

Googleも負けじと「Bard(吟遊詩人)」という対話型人工知能を発表しましたが、今のところ一般ユーザーが使えるようにはなっておらず、1歩後れを取っている感じですね。

ChatGPTとはなんなのか

サンフランシスコの非営利団体「OpenAI」によって開発された自然言語生成モデル。膨大な量のデータから学習を行い、人間のような自然な文章を生成することが可能とされています。

今はもう役員から退いていますが、あのイーロン・マスクも設立者の一人です。更に先月、Microsoft社が追加で数十億ドルを投資すると発表しました。もうなんか訳わかんないですが注目度は半端ないですよね。

私も使っているのですが、正直に言うとまだまだ精度は低いです。例えば、何かを質問して帰ってきた答えがデタラメだったり、ちょこちょこ間違いがあったりするので、結局自分で裏を取る必要があります。ChatGPTが出した答えを鵜吞みにすることはまだまだ危険ですね(英語で使用すると精度は高いようです)。

しかし使い方によっては非常に便利です。例えば、長文を要約してもらう・文章の構成を考えてもらう・タイトルを考えてもらう・架空の物語を書いてもらう。

面白い使い方としては、ただ話し相手になってもらうという人もいるようです。確かにいろんな質問をしていると面白くて時間が溶けていきます。

何より重要なのは「的確な指示を出すこと」だそうです。つまりChatGPTを使う人間にもある程度の能力が求められるということですね。

 

AIは人間を超えるのか

レイ・カーツワイルは自身の著書『シンギュラリティは近い』の中で、2045年にシンギュラリティが来ると言っています。要は2045年にAIが人類を超えると言っているのです。レイ・カーツワイルのことを簡単に説明すると、Googleの中心で働いていた人です。

あなた今「なんかすげー!」って思いませんでした?

はいっ!それが権威主義というやつです。肩書や経歴がすごいと、その人が言っていることが正しいと思ってしまう現象です。下の記事で少し触れているので興味があったら読んで下さい。

sikemokux.com

ちなみに筑波大学准教授の落合陽一氏は2025年にシンギュラリティが来ると言っています。いや再来年じゃん!!

そしてごく普通の中年オヤジであり下駄ばきの生活者である私の答えは、AIは人類を超えられません!

その理由は後半で。

AI進化の過程

1950年代~1960年代

推論と探索による問題解決、すなわち迷路やパズルを解く方法の研究。有名なのはチェスの世界王者に勝った「ディープブルー」という人工知能ですね(1996年)。しかしこのディープブルーは、ある限定された条件(ルール)を与えないと無力になります。つまりルールの外のことを考えられないものでした。

 

1980年代~

コンピューターに専門的な知識=情報を与えて推論させる。これは問題特化型コンピューターと言われていて、主に医療業界などで使われたそうです。しかし与えられた知識=情報を外の文脈と結び付けられないので使われなくなりました。

 

1990年代半ば~現在

Windows95が登場。機械学習とディープラーニング、これは推論と探索とは違っていて、ビッグデータを活用した統計的方法論を用い、データを統計的に判断して「ある特徴に沿った回答」を与えるようになった。これが「ChatGPTやBard」などです。

 

AIは人間を超えられない

今現在のAIは過去の統計をもとにしているので、何か質問しても「当たり障りのないそれっぽいこと」を回答してくるだけです。

新井紀子著「AI vs 教科書が読めない子供たち」。教科書が読めないとはつまり文学を知らないということです。この本で著者が視点を置いているのは、AIに任せてしまうと国語ができない子レベルの文章を作ってしまうということです。

そして逆に言えば、AIに絶対にできないことは国語だと言っています。著者はAIに東大入試の問題を解かせた時に、本当に合格できるのかどうかをシミュレーションしました。

その結果、数学、社会、理科など、規則があるものに関しては偏差値が70前後でした。しかし唯一国語だけは偏差値50もいかなかったそうです。そしてこの先どんなにAIが進化しても偏差値65は超えられないだろうとも言っています。

それは原理的な問題だとも。なぜかと言うとAIは、数学の言語で書かれていると著者は言います。つまり論理と確率と統計で書かれているのです。そして論理と確率と統計は実は意味を理解していないそうです。

では意味とは何か。

古田徹也著『言葉の魂の哲学』の中で著者はこう言っています。

意味とは「時と所と立場によって変化しながら、その適切な流れ(全体感)の中に醸し出される分割不可能な調和感」だと。

例えば、あなたが乗っている車はあなたにとってとても愛着のある大事なものでしょうが、経済学的な領域に行くと唯の商品になります。もし犯罪者に車を奪われたらその車で暴走して凶器になるかもしれません。

つまり時と所と立場によって車自体の意味が変わるわけです。同時に時と所と立場をどうゆう風に感じるかというのは、まさにその場に置かれた人の「あらゆる局面との関係性の中で感じ取られている全体感」としか言いようがないじゃないですかということです。著者はこれを『魂』と言っているのかもしれません。

そして人間とは、変化する状況の中で【論理=視点】を取換え、確率を超えて経験したことのない事態の中で【調和≒幸福】を求めて行動する柔軟な「身体」とするならば、AIは調和感とか幸福感を感じることができるのかというと、感じる能力が数学にはないですから無理なんです。

以上の理由からAIが人間を超えるのは不可能だと思います。

 


ここまで読むと私はAIを否定しているように聞こえるかもしれませんが、決してそうじゃありません。「人工知能は人間と同じではなく違うもの」なんだと言っているのです。

これから先いくつもの分野で人間に代わって仕事をするようになるでしょう。そして多くの部分で人間を凌駕するのも確かだと思います。しかし全ての面で人間を超える事は無いでしょう。AIは人間が豊かな人生を送るための道具として使えばいいのです。

それにもし人間を超えてしまったら「スカイネット」みたいに人間に牙をむくかもしれませんよ?

でも「アイロボット」みたいな世界は割とすぐに来るかもしれませんね。

一抹の不安があるとしたら、もし人工知能が「感情の揺らぎ」を獲得した時、本当のシンギュラリティが起こるかもしれません。