1回目の転職
最初に就職したアイスクリームメーカーを辞め、次に就職したのはCD-ROMを製造している会社でした。そこに決めた理由は家から近くて割と給料がいいから。当時やりたいことなんて無かったし、明確な目標などなくただ生きるために働くだけでした。
そもそも18歳の若者に将来何になるか決めろと言うほうがどうかしてる。今思えば大学に行ってゆっくり考えればよかったかなとは思うが、家が貧乏なのは知っていたので親には頼めないし、働きながら大学行くなんて選択肢は怠け者の私には無かったのです。
今CD-ROM使ってる人は殆どいないと思いますが、24年前は全盛でした。その後DVDやBlu-rayが出てくると、CD-ROMは廃れていくわけですが…
仕事内容は、CD-ROMを製造している機会のオペレーター。といってもやる事といえば材料の補充と出来上がってきた製品の検査ぐらいでしたから、やりがいなどは全くなくただ毎日淡々とこなすだけの仕事でした。
24時間稼働の工場で2交代制。1日12時間労働ですが4勤2休のシフト。盆暮れ正月祝日は関係なし。もちろんゴールデンウィークも関係なし。でも4日働けば2日休めるって結構いいですよね。当然ほかの友達と休みは合わなくなりましたが、同僚との人間関係がよかったので休みのたびに同じ会社の人たちと遊んでいました。
夏は夜勤明けにみんなで海に行って酒を飲みながら砂浜で寝る。起きた時には日焼けしすぎて全身やけど状態。そのせいで会社を休んだやつまでいて、ひどい奴は1週間以上休んでました(笑)。飲みに行くのも毎回会社の同僚です。
仕事中も、特に夜勤の時なんかは仕事中なのにみんなマンガ読んでるし、休憩に行くと1時間帰ってこないしで本当にやりたい放題でしたね。
突然の、しかし必然の解雇
そんな緩い環境に染まってくると人間エスカレートしていくもので、会社から支給されている「クリーンスーツ」(つなぎみたいな作業服)に落書きを始めます。
まずは腕の部分に『一撃』という文字をマジックで書きました(笑)。当時K-1が全盛期で、極真空手出身の「フランシスコフィリオ」が「アンディ・フグ」(アンディも元々は極真空手です)を一撃で沈めてしまったんです。
その後フィリオには『一撃』のキャッチフレーズがつくのですが、K-1に夢中だった私はそれを自分の作業服に刻んだわけです(アホすぎるでしょ?)
作業服のファスナーには鉄のわっかをジャラジャラ付け、帽子には悪魔の数字666を赤いマジックで書いてました。(ゴミです)
ある日、仕事をしていたら知らないおじさんに注意されました。「君のその服装はなんだ」と。私はそのおじさんに「あなたには関係ないでしょ」というようなことを言ったと思います。(もう少し口は悪かったかもしれませんが)
そのあとも一言二言やり取りして、そのおじさんは悔しそうに踵を返して立ち去りました。私としては上司でもない知らないおじさんに注意されたのでちょっと腹が立っていたんです。『一体あのおっさんは何なんだ』と。
あのおっさんは親会社の部長でした(笑)。それを知ったのは次の日です。私は休みだったのですが、会社から呼び出しをくらい、事務所に行くと数人のお偉いさんがたが待っていて「昨日何があったんだ?」と聞いてきます。
私 :「あ~なんか変なおじさんに𠮟られました」
上司:「あの人は親会社の部長なんだよ」
私 :「マジすか…」
上司:「お前の態度にメチャクチャ怒っててどうしようもない。悪いけどこの会社のこ
とは忘れてくれ」
『悪いけどこの会社のことは忘れてくれ』。リアルにこの言葉を言われたことのある人間どれくらいいるんだろうか。さすがに頭真っ白になりましたよ。だってこの会社好きだったし人間関係も良くて楽しかったから。
しかしどう考えても悪いのは私です。クビになるのもしょうがないなと当時も思っていましたから…
本当に調子に乗りすぎました(>_<)。後日聞いたのですが、私がクビになった後、同僚たちが抗議してくれたそうです。ありがたいことですね。
というわけで、入社から1年で見事クビになりました。
一月ほど無職になって次に就職したのは愛知県の電気屋さん。電気屋と言ってもいわゆる家電量販店じゃなく、送電線を張ったり鉄塔を立てたりするほうです。正確には電気工事屋さんなんでしょうけど、その業界では電気屋と言われてました。
そしてその会社には名古屋の『どヤンキー』がいました。
続きは次回ということで。
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