北海道での「1人デイアフタートゥモロー」を回避するために派遣会社に登録した私は、山梨県韮崎市に行くことを命じられます。小樽港からフェリーに乗り新潟へ。新潟港に着いたのは翌日の早朝5時過ぎだったかな?眠い目をこすりながらバイクにまたがり出発します。
亀岡インターから高速に乗り、途中土砂降りの雨に襲われながら山梨へ向かいました。韮崎インターに着いたのは午後1時過ぎだったと思います。しかしここで問題発生、高速道路のチケットが見つかりません。どうやら走っている間にポケットから飛んでったみたい^^;
係員の方に事情を説明したら事務所に連れていかれ免許証を提示し、事情聴取。亀岡インターの監視カメラに私が移っていたので疑いは晴れ、料金12000円ぐらいだったと思うけど払って、派遣会社担当の方と待ち合わせしている寮へ向かいました。
寮は3LDKのアパートに3人暮らし。私以外の2人はどちらも北海道の方でした。(まぁ私も北海道から派遣されてきたんですけどね)現場は3人とも違っていたので交流はほとんどなく挨拶程度。見知らぬ人間同士が3LDKとはいえ同じ空間で生活するには適度な距離感が大事なんです。
仕事内容
1台1000万円以上(当時)する半導体の装置を組み立てていく仕事で、慣れていても1台組み立てるのに1週間はかかります。最初は先輩の作業を見ながら大学ノートにメモしていき、自分だけのマニュアル書を作っていくわけです。
作業を覚えるころになると、ノート1冊分にも及ぶ門外不出の説明書の完成です。あとはその説明書を見ながら1人で淡々と組み立てていくわけですが、その作業が全然飽きないんです。
単純作業ではないのと、一つのものを作り上げるのに1週間かかるので何とも言えない達成感があり自分的には面白い仕事だなと思っていました。
残業は非常に多く、毎日夜中の2時ぐらいまで仕事してましたね。たまに12時頃終わると「今日は早いね」なんて言ってみんなで飯食いに行ったりしてました。感覚がおかしくなっていたんでしょか^^;
土日は一応休みになっているんですが、土曜日は大体仕事でしたね。
また人間関係も非常によく、格闘技好きがいっぱいいたのですぐ仲良くなって、飲みに行ったり合コンしたりとプライベートでも楽しく過ごすことができました。
半導体業界
当時の半導体業界は(今もそうなのかも)4年周期で忙しくなったり暇になったりを繰り返していたそうです。忙しいときは残業も半端ではないですが、暇になってくると定時で帰れるようになり、いよいよ仕事がなくなってくると派遣切りが始まります。
忙しい時に大量に派遣社員を雇い、暇になると全員解雇するわけです。そしてまた忙しくなると派遣社員を大量に雇う。派遣社員というのは何ともむなしいものです。その反面、正社員のような責任はないわけですから気楽とも言えますけど…
しかも当時の派遣社員は給料も良く、ボーナスこそないものの年収にすると正社員とほとんど変わらないぐらい稼げたんですよ。福利厚生は正社員の足元にも及びませんがね。
というわけで私にも派遣切りの波が押し寄せてきました。同じ派遣の人たちは一度地元に帰ってから考えるとか言ってましたが、私は山梨の水が合っていたし、ブラジリアン柔術のチームにも入っていたのでこのままこの地で仕事を探すことに決めました。
5回目の転職
記念すべき5回目の転職先は何の因果かアイスクリーム工場。最初に就職したアイスクリームメーカーとは何も関係ない会社ですが、その会社を選んだ理由は簡単です。寮があったから。派遣会社でクビ切りにあった私は当然寮も出ていかなくちゃならないので、早く次の仕事を探したかったのです。(寮付きで)
とりあえずそこで働きながら住むところを探しました。幸い半導体の会社で結構稼がせてもらったので、部屋を借りるお金ぐらいは持ってました。それにずっと会社の寮にいると何かあった時住むところなくしますからね。私も学習しましたよ(笑)。
その何かあった時はすぐにやってきました。働いていた会社が倒産したのです。私が就職して2年もたたないうちに。さすがにここまでくると少し笑けてきますよね。実際落ち込むことはなくケロッとしてました(/ω\)
この時すでに自分で部屋を借りていたので住むところは大丈夫。いや~自分の拠点があるというのは精神的にすごく安定します。あとは次の働き口を探すだけです。手っ取り早く働きたかった私は、派遣会社に登録して近くのクレーン会社で働くことになりました。
私はそこで心を壊します。
続きは次回。
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