私は小さい頃から「友達100人できるかな」という歌に違和感を持っていた。友達がいっぱいいる方が偉いのか?それってビックリマンチョコに入ってるシールを集める行為と一緒じゃないかと。
同級生は箱買いしてチョコを捨ててシールだけ取っていた。ちなみに私の家は裕福ではなかったので箱買いなどできるはずもなく、たまに爺ちゃんに100円貰って2つ位かってちゃんとチョコも食べていました。
小さい頃は家のお使いで近所に届け物とかをすると、その家のおばちゃんからティッシュに包まれた50円玉を小遣いとしてもらえることがあり、それでアイスを買って食べるのがたまの贅沢だった。
それからジュースの空き瓶を地域の商店に持っていくと、1本10円で買ってくれたりもしたので、それで小遣い稼ぎをしたこともある。今でも買ってくれるのかなぁ。
話はそれましたが、決して友達が多い人を否定しているのではありません。友達が多いのは素晴らしいことです。ですがだからといって友達がいない(少ない)人がダメ人間かというとそうじゃないよということです。
よく人を貶す表現として「あいつ絶対友達いないよな」とか「あなた友達いないでしょ」って言うじゃないですか。だから何なの?問題あります?ってことです。
東京芸大を創った岡倉天心が言ってたと思うんですが、「一人でいても寂しくない人間になれ」だったかな、間違ってたらごめんなさい。良いこと言うなぁと思いましたよ。
あのタモリさんも「友達なんていなくてもいいよ」って言ってますしね。
要は一人でいても退屈しない個人になることが大事なんだということです。
岡倉天心について少し書いておきます。
岡倉天心とは日本の思想家であり文人。
彼の弟子には、横山大観、菱田春草、下村観山、木村武山がおり、いずれも近代日本画を築き上げた方たちです。
彼は弟子たちとともに日本美術学院を創設するのですが、その時決意を込めた「院歌」を作成しています。
谷中うぐいす 初音の血に染まる 紅梅花
堂々男子は死んでもよい
気骨侠骨 開落栄枯はなんのその
堂々男子は死んでもよい
なんとも力強い詩です。
死ぬとか生きるとか思い煩わず、今を生き抜くこと。心構えはそこにしかないのかもしれませんね。
マンガ「蒼天航路」の中で、曹操の軍勢を一人で迎え撃つ張飛を後にして、趙雲が悟った思い。
死地に臨んで立ち返るべきは、唯一介の侠者の武と心
見定めるべきは己の生き死にの置き場
古いマンガですが、岡倉天心の詩を読んでなぜか思い出しました。
友達が多いとか少ないとか、そんなものは人間の価値を決めるものではありません。
自分がどう生きるのか。どう生きたのか。その時が来たら答え合わせしたいと思います。