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日本刀の最高傑作 名刀「大包平(おおかねひら)」「童子切安綱(どうじぎりやすつな)」

 

大包平(おおかねひら)

「引用元大包平 - Wikipedia

 

項目 数値
刃長 89.2 cm
反り 3.5 cm
元幅 3.7 cm
先幅 2.55 cm
元重 0.75 cm
先重 0.6 cm
重量 1.35 kg

 

こんにちは。この記事では、日本刀の中でも最高傑作と称される名刀「大包平(おおかねひら)」「童子切安綱(どうじぎりやすつな)」について紹介します。

この二つの刀は「日本刀の東西の両横綱」と称される最も優れた名刀とされています。

 

大包平の特徴

大包平は、太刀としては非常に軽量で、長さ89.2センチメートル、重さ1.35キログラムという驚異的な数値を持っています。これは同じ長さの太刀では2キログラム以上、打刀では1.5キログラム程度が普通である事を考えれば、そのすごさがわかると思います。

この軽さは、刀身が薄く作られていることによりますが、それでも強度やバランスを損なわないことが、包平の高度な技術を示しています。現代の技術でも再現不可能な奇跡の作品と言えるでしょう。

また、大包平は美術品としても優れています。

地鉄は小板目肌で地沸や地景が入り、淡く乱れ映りが立ちます。

刃文は小乱を主体に小丁子や互の目がまじり、足や葉が入ります。

匂口は深く冴え、帽子は乱れ込んで浅く返ります。

彫物は表裏に棒樋を掻き流します。

茎は生ぶで先は栗尻です。

鑢目は勝手下りです。

銘は「備前国包平作」と長銘で切られています。

 


大包平の歴史

大包平の制作年代は12世紀頃とされていますが、その来歴や所有者については不明な点が多いです。最初に記録に現れるのは江戸時代初期で、岡山藩主の池田家の家宝として伝えられていました。

池田家では大包平を非常に大切に扱い、具足始めの儀式や年中行事に用いたり、他家からの借用や見せる依頼を断ったりしていました。

明治時代以降も池田家に伝来していましたが、1967年(昭和42年)に文部省(当時)が6,500万円で買い上げました。

以後は東京国立博物館に収蔵されており、国宝指定名称は「太刀 銘備前国包平作(名物大包平)」です。展示される機会は限られていますが、日本刀の最高傑作を目にすることができます。

 

大包平の魅力

大包平は、日本刀の中でも最高傑作と称されるだけあって、その魅力は多岐にわたります。まず、その軽さと強さの両立は、現代の技術でも再現不可能な奇跡と言えます。

刀身が薄く作られていることで重量を減らしながらも、刀身の重心やバランスがよく、重さを感じさせず振りやすいです。

また、美術品としても優れており、地鉄や刃文、彫物などに包平の高度な技術と個性が現れています。銘も長銘で切られており、包平の自信の表れとも言えます。

 

童子切安綱(どうじぎりやすつな)

「引用元童子切 - Wikipedia

項目 数値
刃長 80.4㎝
反り 2.8 cm
元幅 3.0 cm
先幅 1.7 cm
元重 0.8 cm
先重 0.55 cm
重量 推定1.4 kg

 


童子切安綱の特徴

童子切安綱の特徴は、まずその大きさです。全長は約106センチメートルで、刀身だけでも約80センチメートルあります。これは、当時の太刀としてはかなり長い方で、馬上で戦うために作られたものと考えられます。

また、重さも約1.4キログラムと重く、力強い打撃を与えることができます。刀身の形は、反りが少なく、先端がやや丸みを帯びた「鎬造り(しのぎづくり)」と呼ばれるスタイルで、平安時代の太刀の典型的な形です。

刀身には、「沸(にえ)」と呼ばれる鋼の粒子が見られますが、「刃文(はもん)」と呼ばれる模様はほとんどありません。これは、鍛冶師が鋼の質にこだわって作ったことを示しています。

 

童子切安綱の歴史

平安時代の伯耆の国の大原の刀工、安綱作の日本刀。

清和源氏の嫡流である源頼光が丹波国大江山に住み着いた酒吞童子の首をこの刀で切り落としたという伝承から「童子切」の名がついたとされていますが、諸説あります。

室町時代には足利将軍家が所蔵していたとされ、その後、豊臣秀吉⇒徳川家康⇒徳川秀忠へと受け継がれたそうです。

最終的には津山藩の松平家へ継承されましたが、1962年(昭和37年)に文化財保護委員会(現在の文化庁)によって買い上げられ、現在は東京国立博物館に所蔵されています。

 

童子切安綱の魅力

私が思うこの刀の最大の魅力は、その不思議な逸話の数々です。以下でいくつか紹介します。

-浮かんだ錆を落とすために本阿弥家に持ち込んだところ近隣の狐が次々と本阿弥家の屋敷の周囲に集まってきた。

-松平光長が幼少の頃、夜泣きが収まらないので、この刀を枕元に置いたら、たちどころに夜泣きが止んだ。

-江戸時代に町田長太夫という試し切りの達人が、罪人の死体を6体積み上げてこの刀を振り下ろしたところ、6つの死体を切断しただけでなく、刃が土台まで食い込んだ。

正に妖刀ですね。この逸話の数々が本当かどうかなんてことはどうでもいいことです。

天下の名刀にしてこの逸話、楽しまなきゃ損でしょ?

人生に必要なのは、遊び心と少しの歌心、探求心とDEEPな懐なんです。

あれ?どっかで聞いたことあるな…

ありがとうございました!

 

 

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