注意:この記事はネタバレを含みます。
ロバート・A・ハインラインの短編小説「輪廻の蛇」を原作としたSFサスペンス。
監督:マイケル・スピエリッグ
:ピーター・スピエリッグ
主演:イーサンホーク
あらすじ
1970年、とあるバーを訪れた青年ジョン(セーラ・スヌーク)はバーテンダー(イーサン・ホーク)に自身の人生を語る。
女として生まれ、孤児院で育ち、夜間学校で出会った流れ者と恋に落ちて子を宿すも、流れ者は去っていき、産んだ子供は何者かによって連れ去られるという壮絶な人生を歩んできた。そしてジョンは子供を連れ去ったのは流れ者だと確信していた。
出産のダメージで子宮と卵巣を摘出した彼女は、元々両性の特徴を持っていたため後の人生を男として生きることを選択する。
その話を聞いたバーテンダーは、自身が未来からやってきた時空警察のエージェントだと明かし、ジョンにある提案をする。
それは過去に連れていき流れ者を始末する機会を与える代わりに、そのあと自分の後継者になれというものだった。
その提案を受け入れたジョンはバーテンダーとともに流れ者と出会った日にタイムトラベルする。
夜間学校で流れ者が現れるのを待っているとき、ジョンはまだ女だったころの自分自身と出会ってしまう。そして恋に落ちる。
なんと自分が恋に落ちて子を宿した相手とは、男になって過去に戻ってきた自分自身だったのだ。ジョンは過去の自分を愛してしまい、バーテンダーに「彼女と離れたくない」と懇願するが、それはだめだと断られる。
そしてバーテンダーは「俺が何者なのかも薄々分かっているはずだ」とも。
そう、バーテンダーもジョン自身だったのだ(過去の任務で大やけどを負ってしまい、顔を整形してるので見た目は別人)。
そして生まれた子供(自分)を連れ去り、孤児院に預けたのはバーテンダー(自分自身)だった。
孤児院に預けられた子供はジョン自身、そして子供の父親も母親もジョン自身。全てが一人の人間で完結していたのだ。
ジョンをじぶんの後釜にしてエージェントをやめたバーテンダーだったが、過去大やけどを負った原因でもある連続爆弾魔だけは心残りだった。
そして最後にその爆弾魔を始末しに向かう。コインランドリーにいた爆弾魔はバーテンダー自身だった。
酷く動揺するバーテンダーだったが、最後には爆弾魔を撃って始末する。
感想
まずイーサン・ホークも年取ったな~というのが最初の感想。「トレーニングデイ」ではじめて見てからかなり経っているので当たり前ですけど、感慨深いものがありました。
さて映画の感想ですが、タイムトラベルものの中ではかなり意味不明な作品だと思います。途中から頭がこんがらがるというのか、「いったいこの話は何なんだ⁉」というのが正直な感想です。
そもそも過去の自分に恋をする時点で無理があります。ついさっきまで自分をこんな目にあわせた流れ者を始末しようと憎悪に満ちていたのに、すっかり忘れて恋愛モード?それも過去の自分に?ご都合主義にもほどがあります。
もし映画だけ観て終わっていたら上記のような感想だけで終わっていたでしょう。しかし原作の「輪廻の蛇」を読むと、これはハインラインの思考実験だとわかります。
タイムトラベルには必ず付きまとうパラドックス。例えば、過去に戻って自分の父親を殺したら自分はどうなるのか?
父親はこの世にいないから自分は存在しない、しかし父親を殺した自分が存在しないことになるから父親は生きているのではないか?という”あれ”です。
それに対し「父親であり、母親であり、自分自身であるなら成立するかもしれない」という、言ってしまえば屁理屈を考えたのが「輪廻の蛇」です。そして「ばかばかしい話」なんです。
原作にはないですが、映画では最後、自分自身を殺します。完全な自己完結型の主人公です。
つまりこの話は真面目に考えるようなものではなく、眠れないときの睡眠導入剤として利用することが最適解なのではないでしょうか。
あ~それとセーラ・スヌークの男姿は最初本当に男に見えたから見事です。そしてジョディー・フォスターにそっくり!